不運の羅針盤

佐藤健介は東京の商業地区に住む27歳の青年だ。大学時代の陸上部での栄冠は、もはや遠い昔の出来事だ。今や彼は、周囲の友人たちが次々と幸せを掴んでいく様子を、羨ましさと共に眺めるしかない。

「どうせ俺なんて、何をやってもダメなやつだから」

彼の口癖だ。どんなに小さな成功でも、彼の心にはいつでも「でも、次は失敗するに決まっている」と呪文のように響く。そんな彼は、周囲の明るさに包まれながらも、まるで漆黒の雲に囲まれているかのような気分だった。

ある日、友人に誘われた飲み会で、運命の女性、山田美咲と出会う。彼女はその場の雰囲気を一瞬で変えるほどの明るさを持った女性で、周囲の人々も彼女の笑顔に引き寄せられていた。

「私も陸上やってたんですよ!」

その言葉に健介は思わず驚く。美咲はさまざまな趣味や経験をもっていて、そのひたむきな姿勢に健介は惹かれていく。しかし、彼の心の中には彼女を幸せにできないという強迫観念が棲みついていた。

「こんな俺が、こんな素敵な人と一緒になるなんてあり得ない」

美咲が彼に向ける優しい眼差しに、彼は恐れと恥ずかしさでいっぱいになった。何度も彼女に話しかけようとしたが、自分の心の殻を破ることはできなかった。

飲み会後も、美咲は健介に連絡をくれることが多くなった。彼女の存在が次第に彼の心の中に根を下ろしていく。しかし、同時に健介は過去のトラウマに囚われ続け、その思考はますますネガティブになっていった。

「どうせ美咲も、俺なんかには飽きるに決まってる」

そう思い込むことで、彼は自らの感情を抑圧する毎日が続いた。そのうち、美咲は彼を励ますことが多くなったが、彼はそれを素直に受け入れることができなかった。彼女の優しさは、かえって彼の心の中の苦しみを強くするだけだった。

その日、ついに健介は耐えきれず、美咲に思いを告げる決心をした。

「俺なんか、君を幸せにできない」

告白の言葉は彼女の耳に届いた瞬間、思っていた以上に苦しみが募る。彼の言葉は冷たい雨のように美咲を濡らした。

「どうして、そんなこと言うの?」「健介は自分を過小評価してるよ。私、健介のこと好きなのに……」

彼女の目に一瞬浮かんだ涙を見て、彼は心が引き裂かれそうになった。健介は、自分が感じている想いと、現実の感情がズレていることに苦悩した。彼女を心から愛しているのに、愛に正直になれない自分が許せなかった。

美咲はそのまま彼の元から去っていった。健介の心は、明るく弾ける音のような美咲の笑顔を思い出すたびに痛みを伴った。彼女の存在が自分の心を豊かにしていたことに今更ながら気付く。

毎日の生活は色を失い、彼は一人で部屋に閉じこもることが増える。周囲の温かさとは裏腹に、彼の心はどんどん冷え込んでいった。

「どうせ俺なんて、誰にも必要とされなくなった」

ある晩、ふと鏡に映った自分を見たとき、彼は腹を抱えて笑い出した。自分が自らの作り出した不運の羅針盤に囚われていることを、彼は冷静に理解したのだ。

その時、彼は自分の運命が決まっているのだと、ますます思い知らされた。

周囲の幸せを羨んでも、自らの選択に失望し続ける日々。彼は孤独な道を選ばんとする自分を嘲笑し、外の世界との接点を完全に断ってしまった。

愛する人を失った痛みを抱えながら、最後に彼が残したのは“自己否定は、最も愛する人すら失ってしまう”という真実になった。