リナは震える声で尋ねる。
「もし私が断ったら?」
「味だけ盗む気はありません。あなたとでなければ意味がない」
タケルは穏やかな瞳でそう告げ、腰を折って深く頭を下げた。世界的シェフが田舎のカフェで本気の一礼。空気が固まり、時計の針の音だけが響く。
夜。閉店後の灯りの少ない厨房で、マミが鍋を拭きながら口を開いた。
「リナ、行っておいでよ。私、ここ守るからさ」
「でもマミだって独立が夢でしょ?」
「夢に期限はないよ。あんたが大輪になって戻ってきたら、その時私も隣で咲く。——ね?」
澄んだ声が鍋底の星のように輝く。リナは目頭を熱くしながら笑った。
翌朝、白雪ニンジンの甘い香りがまだ漂う店内で、リナは電話を握りしめた。
「もしもし、橘さん……。私、東京へ行きます。――お願いします」
受話器越し、タケルの低い声が柔らかく波打った。こうしてリナの旅は、湯気の向こうに道を描き始めた。

















