運命のレシピ – 第8話

 彼はまっすぐステージへ歩み寄る。足取りは都会のタイルよりも、この町の土を思わせる確かな重さだった。ボックスの蓋を開けると、朝採れの白雪ニンジンが霜をまとい光っている。

「これは、今朝四時に畑で収穫しました」

 タケルは客席に向かって腰を折り、続けた。

「僕は東京で料理を学びましたが、その原点は一皿の甘いスープでした。ここにしかない甘さと香り、それを守り未来へ繋ぎたい」

 そして彼は、もう一つ小さなノートを差し出した。ページの端が褪せ、表紙にはフランス語で《mémoires》とだけ記されている。

「母のレシピ帳です。味は記憶になる。だから今日、この町と一緒に“次の味”を書きたい」

 静寂を破ったのは、市長の立ち上がる椅子の音だった。

「橘シェフ。あなたは都会の名店を離れてまで、ここで何を作るつもりですか」

 タケルは顔を上げ、リナの方へ歩み寄り、隣に並んだ。

「私たち二人と町のみんなで、新しいレストランを作ります。名前は――」

 リナが息を飲む。

「〈レシピ・デスティーノ〉。“運命のレシピ”という意味です」

 会場がざわめき、誰かが拍手を打ち鳴らした。それは連鎖し、雨音のようにホール全体を満たす。

 プレゼン終了後、ロビーに即席のテイスティングブースが用意された。リナとタケルはコートも脱がずに鍋を火にかけ、白雪ニンジンのピュレに母のキャロットポタージュを合わせる。

 「温度は七十二度。甘さを潰さず、香りだけ立たせる」

 タケルの指示にリナが頷き、仕上げに柚子のゼストをひと振り。小さな紙カップに注がれたスープは、湯気の向こうで淡いオレンジと雪の白を溶かし合う。

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