彼はまっすぐステージへ歩み寄る。足取りは都会のタイルよりも、この町の土を思わせる確かな重さだった。ボックスの蓋を開けると、朝採れの白雪ニンジンが霜をまとい光っている。
「これは、今朝四時に畑で収穫しました」
タケルは客席に向かって腰を折り、続けた。
「僕は東京で料理を学びましたが、その原点は一皿の甘いスープでした。ここにしかない甘さと香り、それを守り未来へ繋ぎたい」
そして彼は、もう一つ小さなノートを差し出した。ページの端が褪せ、表紙にはフランス語で《mémoires》とだけ記されている。
「母のレシピ帳です。味は記憶になる。だから今日、この町と一緒に“次の味”を書きたい」
静寂を破ったのは、市長の立ち上がる椅子の音だった。
「橘シェフ。あなたは都会の名店を離れてまで、ここで何を作るつもりですか」
タケルは顔を上げ、リナの方へ歩み寄り、隣に並んだ。
「私たち二人と町のみんなで、新しいレストランを作ります。名前は――」
リナが息を飲む。
「〈レシピ・デスティーノ〉。“運命のレシピ”という意味です」
会場がざわめき、誰かが拍手を打ち鳴らした。それは連鎖し、雨音のようにホール全体を満たす。
プレゼン終了後、ロビーに即席のテイスティングブースが用意された。リナとタケルはコートも脱がずに鍋を火にかけ、白雪ニンジンのピュレに母のキャロットポタージュを合わせる。
「温度は七十二度。甘さを潰さず、香りだけ立たせる」
タケルの指示にリナが頷き、仕上げに柚子のゼストをひと振り。小さな紙カップに注がれたスープは、湯気の向こうで淡いオレンジと雪の白を溶かし合う。



















