救いの社と、焼き鳥のにおい

町のはずれに、鳥居の赤だけはやけに立派な小さな神社があった。
 境内は狭く、石灯籠は片方だけ傾き、手水舎の龍は冬になると水を出すのをやめる。神主の佐伯さんいわく、「龍にも休暇は必要」らしい。

 そこで巫女のアルバイトをしている陽菜は、十八歳。困っている人を救うのが夢だった。
 ただし、彼女の夢はまだ、具体的な方法を知らない。

「神様にお願いすれば、悩みは消えるんでしょうか」

 ある日、陽菜は参拝に来た女性に尋ねられた。

「悩みは、お願いしただけでは消えないと思います。でも、話すと少し軽くなることはありますよ」

 そう答えた陽菜の横で、佐伯さんがうなずいた。

「そうそう。神様も忙しいからね」

「神主さん、今のは言わないほうがよかったと思います」

 陽菜が小声で注意すると、佐伯さんは真面目な顔で柏手を打った。音は、片手だけだった。

 最初の相談者は、柴犬のコロだった。
 飼い主のおばあさんに連れられ、賽銭箱の前で座り込んでいる。おばあさんが説明するには、コロは散歩の途中で出会う白い犬に恋をしたらしい。

「コロちゃん、あの子と仲良くなりたいのね?」

 陽菜が目線を合わせると、コロは「ワン」と鳴いた。

「告白の練習をしましょう。まずは、落ち着いて近づいて……」

 コロは陽菜の手からおやつを奪い、すぐに食べた。

「よし。食欲は十分。あとは散歩の時間を合わせましょう」

 それから陽菜は、おやつを持った飼い主と一緒に散歩へ出た。白い犬とは二度すれ違ったが、コロは恋の相手より、道端の焼き芋屋のほうを見ていた。

「恋より芋なのね」

「ワン」

 コロは返事をした。たぶん、芋のことだった。

 次に来たのは、町内会の大野さんだった。七十を過ぎた彼は、回覧板をなくしたと青い顔をしていた。

「町内会の重要事項が、わしのせいで止まってしまう」

「どこまで回したか、覚えていますか?」

「覚えておったら、ここへ来とらん」

 陽菜はすぐに、神社の掲示板に紙を貼った。

『回覧板捜索隊、隊員募集中。お礼はお茶とまんじゅう』

 すると、子どもたち、買い物帰りの人、犬の散歩中の人まで集まった。みんなで大野さんの家から公民館までを探し、植木鉢の陰、郵便受けの奥、なぜか冷蔵庫の野菜室まで確認した。

 回覧板は、神社の物置から見つかった。
 佐伯さんが、祭りの案内を貼るつもりで持ち出し、そのまま忘れていたのだった。

「神主さん、回覧板を冷蔵庫に入れたのは誰ですか?」

「わしではない。わしは物置に入れただけだ」

「冷蔵庫のほうは?」

「それは、神様のお導きかもしれない」

 大野さんは、まんじゅうを一つ佐伯さんに渡した。

「お導きにしては、あんこが多いな」

 佐伯さんは、ありがたそうに食べた。

 三人目の相談者は、なんと佐伯さん本人だった。

「わしは神様に謝りたい」

 夕暮れの社務所で、佐伯さんは深刻そうに言った。

「お祭りの太鼓を間違えた。去年は神楽の順番を飛ばし、その前は祝詞の途中で町長の名前を呼んだ。神様は、きっと怒っておられる」

「神様に直接、謝ってみたらどうですか?」

「神様の前に立つと、言葉が出なくなる」

 そこで陽菜は、物置から古びた腹話術人形を見つけてきた。昔、子ども祭りで使ったものらしい。人形は、眉が左右で違い、口を動かすと片方の頬だけ大きくふくらむ。

「これを神様役にしましょう」

「神様を人形に?」

「神様も、話しやすい相手がいいかもしれません」

 陽菜が人形の口をぱくぱくさせると、佐伯さんは人形に向かって頭を下げた。

「神様、祭りの失敗をお許しください」

 人形は、陽菜の手でうなずいた。

「よかろう。次は太鼓を三回叩いてから、神楽を始めるのじゃ」

「ありがたきお言葉です」

 佐伯さんは、ほっとして目をこすった。陽菜も、少しだけ胸が温かくなった。

 ところが、その翌週、町役場から知らせが届いた。
 神社の敷地を含む一帯を整備するため、社殿を取り壊すことが決まったという。

 町の人々は社務所に集まり、口々に言った。

「ここがなくなったら、話を聞いてもらう場所がなくなる」

「コロの恋も、回覧板も、神主さんの謝罪も、どうすればいいんだ」

「最後のは、町内会でなんとかしてください」

 陽菜は、みんなの顔を見回した。悲しんでいる人も、怒っている人もいた。けれど、誰もがここで誰かに話を聞いてもらったことを覚えていた。

「神社を残す方法を考えましょう」

「でも、建物を残すのは難しいらしい」

「じゃあ、神社が何をしてきたのか、町の人に思い出してもらいましょう」

 陽菜は佐伯さんと相談し、祭りをやり直すことにした。題して、『失敗だらけのお祭り、再演』。

 当日、境内の前には町中の人が集まった。佐伯さんは太鼓を三回叩くはずが、勢い余って四回叩いた。

「神様、いまのは一回ぶん多かったです」

 陽菜が腹話術人形を掲げる。

「よかろう。景気がよいからな」

 人々は笑った。

 次の神楽では、佐伯さんがまた順番を間違えた。町長の名前を呼びかけたところで、町長自身が舞台に上がり、見よう見まねで踊り始めた。子どもたちは手拍子をし、コロは焼き鳥の屋台の前から動かなかった。

 祭りの合間、陽菜はマイクを持った。

「神社は、悩みを全部なくす場所ではありませんでした。犬の恋も、回覧板も、神主さんの失敗も、ここに来たから消えたわけじゃない。でも、誰かが話を聞いて、一緒に探して、一緒に笑ったんです」

 大野さんが手を挙げた。

「わしは、回覧板をなくしてよかったとは思わんが、捜索隊の茶はうまかった」

「私は、あのとき母のことを話せて助かりました」

「ぼくは神楽を踊れて楽しかった!」

 声が次々と重なり、境内は笑い声でいっぱいになった。

 その夜、町の人々は役場に相談し、社殿そのものではなく、神社の敷地の一部を地域の相談所として残す案をまとめた。掃除も、当番も、相談の受付も、みんなで分け合うことになった。

 社務所の小さな部屋には、陽菜のための机が置かれた。看板には『なんでも相談所』と書かれ、その下に誰かが小さく付け足していた。

『ただし、回覧板は冷蔵庫に入れないこと』

 陽菜は笑って、看板をまっすぐに直した。

「救うって、悩みを消すことじゃないんですね」

 隣で佐伯さんがうなずいた。

「一緒に笑って、明日へ進むことだろう」

「神主さん、今日はいいことを言いますね」

「腹話術人形のおかげだ」

 祭りの終わり、コロは白い犬に会えなかった。けれど、焼き鳥を二本もらい、満足そうに尻尾を振っていた。

 恋は実らなかった。
 それでもコロの鼻先には、タレの香りと、明日も散歩に行ける喜びが残っていた。

 鳥居の向こうで、町の人々が片づけを始める。誰かが椅子を運び、誰かが提灯をたたみ、誰かが佐伯さんの太鼓を片づけた。

 陽菜はその輪に加わった。
 小さな神社は、建物の形を少し変える。それでも、話を聞く場所はなくならない。

 困った人が来たら、みんなで考える。見つからないものがあったら、一緒に探す。失敗したら、まず笑って、それからもう一度やってみる。

 それが、この町の新しい神様へのお願いだった。

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